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当事者の声
生きがいづくりをめざして・・・
当事者の声

平成5年12月10日のこと、2〜3日前から体全体がしんどく、急に食欲もなくなってきたので「おかしいなぁ」と思い、長男に自転車の後ろに乗せてもらい病院へ行きました。すると病院の先生から脳梗塞といわれ、即入院ということになりました。最初はすぐ直るものと思って別に気にもせず休暇のつもりでいましたが、ある日、トイレに行こうとしたら左半身が麻痺して動かなくなり、身体の自由が奪われました。慌てて主治医の先生に話を聞くと「障害は治らない」と言われ、突然、目の前が真っ暗になりました。その時、あらためて病気の怖さを思い知らされました。


悪いことは続くもので、入院して二ヶ月目、出社してこないということで、今まで勤めていた会社をクビになりました。そのころ私の家には、家内を始め、高校3年生、中学3年生、小学校6年生と3年生の合計5人を養わなければならない状態でしたので、収入がなくなるのは死活問題でした。好きで病気になったのではないのに、とても辛い思いをしました。

生活費を稼ぐため、家内は朝から夜まで働き、家に帰るのが深夜2時、3時ということも珍しくありませんでした。また、子供達が見舞いに来てくれても言語障害のため、しゃべりたくてもあまりしゃべれない。親として何もしてやれない、情けない。言葉のかわりに、涙がこぼれました。でも、そのときはまだ44歳。障害者になっても、どうにかなると思っていました。そしてようやく、入院してから3ヶ月目で退院することができました。とてもうれしかった。これからはリハビリを精一杯頑張って、家族のためにも働こうと思いました。


職安にも通い、そこで兵庫県に障害者の職業訓練学校があると聞いて、家内と一緒に見学に行きました。そこでは、私よりも障害の重い人が一生懸命訓練をしていて感動すると同時に、希望が湧いてきました。しかし、入校試験の結果、不合格になり入学することができなくなりました。少しがっくりしました。しかし、落ち込んでいる暇はありません。近くの保健センターに通って、リハビリの訓練を続けました。

当事者の声

そんな中、同じ保健センターに通っている山田さんと知り合いました。山田さんも私と同じ脳卒中でした。その山田さんから、堺市内にある職業訓練学校のことを聞かされ、もう一度チャレンジをしてみようと思いました。その日から二人で入校試験に向けて猛勉強がはじまりました。


私は数学が得意でしたが国語は苦手でした。反対に山田さんは、国語が得意でしたが数学は苦手でした。そんな二人が、力を合わせて勉強できたことは、大変力強いことでした。その努力が実って、試験は見事二人とも合格しました。私は、アパレル関係の学科を選択しました。主にミシンなどによる縫製の仕事です。訓練学校の生活は、快適でした。自分の可能性がどんどん膨らむようで楽しかった。ただ、1週間に2回ある掃除の時間が苦手でした。そして1年の月日が過ぎ、卒業と同時にいよいよ念願の就職活動が始まりました。

当事者の声

好きな職種を選んでいる余裕はありません。片っ端から面接に行きました。訓練学校の就労課の人も「あんたやったら、必ず就職できるところがあるで」と励ましてくれました。しかし、現実はとても厳しく、結局20社の面接を受けましたが全部断られました。ひどいところは、一週間見習をさせられて、その期間の賃金は払われず、交通費も自己負担で結局採用してくれませんでした。今までは、何とか頑張っていこうと気を張ってきましたが、このときばかりは体中の力が抜け、生きる気力を失いました家族にもこれ以上迷惑かけることも申し訳ないと思いました。折しも、長女の結婚が決まっていたときなので、せめて親父らしいことをしてあげたいという一心で就職活動をしてきましたが、その夢も打ち砕かれました。このときが一番の地獄でした。

福祉とは、もう少し人に優しくなければ!

その後も就職活動を続けましたが、結局、障害があるからとか、年齢が高すぎるとかでどこにも雇ってくれませんでした。

ところがある日、久しぶりに山田さんに会ってみると「作業所にかよってる」と言うことを聞きました。私が「作業所って何?」と聞くと、「障害者が働くところや」と教えてもらいました。「僕でも働けるかもしれない」と思いワラをもつかむ思いで、作業所へ見学に行きました。私にもできそうな仕事があり、職員さんからも通えるということを聞いてうれしかったです。


通い始めてからいろいろなことを学びました。今まで知らなかった福祉制度も教えてもらうことができました。本来なら市役所の職員が教えてくれるものなのに、今までなんで教えてくれなかったんやろう。本当に障害者のことを真剣に考えているのか、疑問に思います。私たちは急に障害者になったので、福祉制度についてはまったく知らないのです。私だけでなく、ほとんどの中途障害者は同じ状況だと思います。制度をつくっても、心が通っていなければ何もなりません。福祉とは、もう少し人に優しくなければならないと思います。

当事者の声
当事者の声

そして1998年10月に作業所が移転拡張しました。今までは内職の仕事ばかりしていましたが、自分達で自分達らしい仕事をつくり上げたいと思い自主製品の製作について試行錯誤を繰り返しました。。その結果「クッキー風せんべい」をつくることにしました。最初は売れなかったのですが、最近では保育園、幼稚園、小学校等や老人施設まで注文をくれるようになりました。


私は、自分とこの製品に自信を持っています。一日一日目標を持って物事に取り組んでいます。以前はこんなことができるとは思ってもいませんでした。コツコツやっていくと何とかできるようになったときは嬉しい気持ちになりました。ここまで頑張れたのも、いろいろな人たちの協力があったからこそと実感しています。


その中でも一緒に訓練学校に行き作業所に誘ってくれた山田さん、作業所が移転拡張したときに一緒に手を取り合って頑張ろうと誓い合った私の兄的存在の磯谷さん、非常に残念なことに二人とも今では帰らぬ人となりましたが、今でも作業所で一緒に仕事を頑張っている気持ちでいます。「何やってんねん!ちゃんと仕事しろや!」と、いつもの口癖が聞こえてきそうです。二人のためにも希望の灯火を消さず、他の人のことも考えられる中途障害者になっていきたいと思っています。

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